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丁度良いという急所を発見する

丁度良いという急所を発見する

中庸とは広辞林によると、「偏らず妥当なこと、極端に走らず、過不足のない中ほどのところに真実の道のあることを説き…」とあります。
これをブランコに例えると、左に振れば右に戻り、左に揺れ、右にと繰り返しているうちに真中に止まります。この位置を中庸と取ることが出来ます。
 とかく人間は左か右に偏り、それが意見の相違となって口論、激論、憎み合い、殺傷沙汰に及び、今日の社会情勢に現れています。
 
子育てにおいては、「あの親は厳しすぎる」とか「甘やかし過ぎたからあんな子になったのだ」との論を自分に当てはめてみますと、案外気付いていないもので、極端に対処して、家庭不和の原因を作っている場合が多くあります。
 
「程」を実践するとは、言い過ぎてもいけず、言わな過ぎても駄目で、丁度よいというつぼ急所を発見することです。しかし、それらが判らず自己の判断で感情的になって言葉に出すと、子供を傷つけたり、落ち込ませたり、敵対心を起こさせたりしてしまいます。
それに気付かず繰り返していると、子供は、しゃくにさわった、面白くない、「キレタ」という言葉や態度で心情を表現しますが、それ等は上っ面のことで深層心理を吐露しているとは言えません。
 
現代の親は子供に一流大学を卒業させ、企業に勤めさせるか公務員にさせるなど、生活の保証がある職業に就けたいと願い、必死に働き、子供優先の家庭環境を整えて満足していますが、その親の意図を知った子供は、果たして満足してそのペースに乗っているのでしょうか。
親の心の持ち方と行為で育てられ、その影響を受ける子供の脳裏に何がインプットされるかをよく考えて、自己規制を怠りなくしておかないと、親の願望とは全く違った子供に成長することがあります。
その例が昨今多発している未成年者の犯罪です。親の、「あんな子供に育てた覚えはない」という、さも間違っていないような発言をしばしば聞きますが、果たして本当でしょうか。
 
子供達が一番最初に親を裏切る行為の一つに、セックスを楽しむことがあります。
恋愛イコールセックスという区別のない、出鱈目な交際は親を心労のうちに突き落とします。これが反抗の現れです。その他、不登校も、暴力も、万引きも総ては親への嫌がらせで、親の心痛顔を見て、内心ではほくそ笑んでいるのではないでしょうか。
しかし、生まれながらに悪癖を持って生まれてくることは絶対にないのです。
 
子供はたとえ小さく幼くとも立派に意思は持っています。只、それを言葉と態度に表す術を知らないから反論反抗はしませんが、子供の意思と親の意思に相違があることに気付かなければなりません。
また、子供の心も千差万別です。そして、「人間は天性的に生涯にすべき役割を備えて誕生してきたもの」です。
物を作ることは好きだけれど勉強は嫌い。
台所に入って料理作りの手伝いはよくする。
小説ばかり読んでいて学校の教科書には目を通さない。
花作りが好き、スポーツが好き等々、
子供達はさまざまな個性を持っているものです。
 
ところが、親は子供の成績を上げて、一流学校に進学させたいと塾や家庭教師を雇い、詰め込みを図るが、成績は一向に良くならない。このような場合、親は自己の押し付けに対し反省をしなければなりません。
どんな授業を受けさせても、嫌々勉強をしていれば頭に入るはずがなく、子供の心には親に対する反抗心を芽生えさせるだけです。
 
まず、子供の特性を見極め、将来を展望し、どの方向に進む事が子供にとって一番の幸せになるかを考えて、進路を決めてやるべきです。
政治家になることが偉いのではなく、大学教授や医者、弁護士になることが文化人的資質ではなく、一庶民であっても、正直で誠実であり人様に信用され、生活をエンジョイ出来れば、肩を張らずに人間本来の生き方が出来るのです。
 
大人になり、生活の糧を得る為に働くことは当然なことで、技術を磨く、法律の知識を深める、営業成績を上げる等は職業がそうさせるのであって、それを実行したからといって人間性が高まるものではありません。
寧ろ、職業に堪能になるほど、人間の本質に根ざした正義感、惻隠(そくいん)の情、人に尽くす、共存の精神、中庸的考え方等が疎かになっていく傾向があります。
 
先ず手掛けねばならないことは、人間の資質を作る環境を整備し、資質を作りながら、学問に励むように指導するのが大人の役目であると思います。
端的に言うと、心を育てるか、それとも脳細胞に数字上、理論上必要な知識を叩き込んで、人間性を喪失させていく今日の制度が良いか、悪いか、答えは明白です。
 
「程」の実践でより大切なことは、譲り合う心です。
五と五を主張し合えば突き当たりますが、六と四で相手の思いと自己主張を同調させる阿吽の呼吸で、突くこと、引くことを心得えて物事を円満に解決する力のあること。
これを「程」といいます。
 
人間であれば誰もが心に善や悪、慈や悲を同居させています。
人間から悪心をなくすことは不可能ですが、それを抑える「程」の実践は善の力となり、努力や忍耐が生まれてきます。かくして、中庸の道を会得することができます。
 
                                                            (「HRの世界 心に糧を蒔く」より)
 
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