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柔よく剛を制す

柔よく剛を制す

昔から臍下丹田(へそしたたんでん)という言葉があり、腹に力を入れ、決断力を養う訓練をする指導がありました。また、剣豪の文章には「本当の達人の素早い行動は全身の力を抜くことが必要である」とあります。ここでは物理的なことではなく、心の状態の剛と柔を問題にしていきます。

 

剛の心の人は自己主張が強く、自分の失敗を認めず自己満足をしています。うまくいかない時は時期が悪い、周囲に原因があるように考え、理屈を言い、実行力はなく、人から信用されずに孤立します。子供に対しては胸襟を開らかず、恐れられ、敬遠される親となります。

 

柔の心は大きな包容力を持った心です。
包容力とは、例えば人が三人よれば三様の意見が出ますが、特定な意見に集約せず、意見の共通点を見出し、三人の総意として、満足する結論を導き出すことを言います。


現在、家庭や人間関係が崩壊、また崩壊寸前にあるのも、この包容力の不足が原因している場合が多くあります。


青春時代、自由奔放に生活して親を泣かせ、親の意見を聞き入れずに結婚をしたり、社会に迷惑を掛けたり、学生時代に万引きに手を出して遊び歩いていた人。また、結婚をしてからも両親への孝養を忘れ、自分勝手な理屈を作り、その反面、自分の趣味には時間や金を掛けて、一人前であるかの如く振る舞っている自己中心的な剛の心の人。
そのような人々には社会性は身に付いておらず、青春時代と何等変わらず進歩もありません。年だけを重ねて来たというような人が、子供に意見をしても通用するはずがありません。

 

また、子供が不登校になると親は決まり文句のように、学校に行くことをしつこく迫るとか、お説教的に上から下へものを言うやり方で登校することを勧めるが、子供は納得をしないものです。親が子供の目線と同じ立場に立って、子供の言うことをよく聞いてあげるという努力を怠っていることに気付かないのです。これも心に剛があるからです。

 

そして、親子間に於いて、子供の人格を認めるという、涵養の精神が欠如した情景をよく見かけます。子供は親を尊敬すべきであるという道徳で接し、年長者である親を信頼し、意見を聞くべきである、という一方的な親の考えを押し付けていることに気付かないのです。

親も欠点多き人間である、という自覚があれば子供は親の欠点を認めて、親を責めたり、無理を言って泣かせるようなことはしないものです。
どんな親でも子供でも、他人にない、自分自身のかけがえのない価値を具有していることを発見し、認め合えれば親子が尊敬し合い、子供は親の言うことを素直に聞いてくれると思います。子供の価値が見出せない親は、どんなに口で心配をしていると言っても、子供は親の心を感受するどころか、逆に「キレ」ているのが普通です。

 

 

子供は本能的に親を尊敬しています。しかし、親の態度次第では尊敬が軽蔑や悔蔑となり、親子の絆が乱れて、家庭形態が崩壊の危機に陥ってしまいます。
親は先ず自分を知ることです。

 

「柔よく剛を制する」と言いますが、子供が剛になっている時、親が柔の心で接していけば、剛の心が柔らかく温和になることは間違いありません。
子供の剛は生来のものではなく、環境と年齢によって作られた仮の人格ですから、ある期間を過ぎれば元に還る性質を持っています。

 

但し、夫婦が和し、助け合いや思いやりの心を持って、家庭を維持していくことが肝要で、どんなに良い性格の子供であっても「人は善悪の友による」の譬えのように、両親の欠点に染まっていけば治るべきものも治らない、ということになります。

  

剛の心は喧嘩口論を好み、負けることを嫌い、お山の大将的性格になっていきますが、柔の心はその剛の心を真綿で包むようにして、暖かさと静けさで剛直を和らげ、柔軟な心にしてしまう妙薬を持っています。

 

                                                    (「HRの世界 心に糧を蒔く」より) 
 

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