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体験報告

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娘の浄化を通して学ばせて頂きましたこと

2023-02-20
ことの始まりは令和3年11月25日でした。朝いつも通りに登校のため家を出ましたが、途中で気持ち悪くなり戻ってきました。学校はお休みし、この日は事務所勉強会でしたので私はラインで参加させて頂きました。翌日も同様で学校を休み、その後は家や学校で気持ち悪さが出ることがありましたが、11月中は登校することが出来ました。

しかし、12月になってからは気持ち悪さに加え頭痛や怠さが出始め、午後から登校したり時には休むようになりました。休んだ日は放課後に登校し担任の先生とお話しすることが出来ましたが、その後先生や友達と会いたくなくなり、令和4年1月の冬休み明けからは不登校になりました。先生はオンライン授業の参加を勧めて下さいましたが、自分だけが参加になることを理由に拒否しました。

12日に娘と事務所にお伺いさせて頂きました。野口さんから、翌日から二日間、朝に二人で学校まで頑張って行き、校門にHR水を噴霧し、校内に入れたら行けるところまで行く。入れなければそのまま帰ってくること。その後は娘の気持ちで行動すること、とご指導頂きました。翌日、道中気持ち悪くなりましたが学校まで行くことが出来、校門にHR水を噴霧することが出来ました。校内には入ることは出来ませんでした。
学校を休むようになってからも宿題はやっていましたので、週末私が先生に宿題をお渡しに行って、私が相談している方の指導で毎朝校門まで来ていることや、この頃家にいる時の体調が落ち着いてきていることなどをお伝えすると安心され、先生は現状を受け入れて下さいました。

20日頃より学校でコロナウイルス陽性者が出始め、他学年で学級閉鎖が出始めたため、娘のクラスでオンライン授業での参加を希望する児童が出てきまして、先生から再度勧めて頂いたのがきっかけになり、娘と話し合い27日からオンライン授業に参加することになりました。授業中、気持ち悪さや頭痛が出ることがありましたが軽く済ませて頂き、最後の時間まで参加することが出来ました。

28日は私が放課後に宿題をお渡しに行く日でした。最後の授業が終わった後に娘が突然、「一緒に行きたい。友達と会いたい」と言いました。残念ながらこの日は、学校に着いた時には友達は帰ってしまった後でしたので会えませんでしたが、先生にお会いしお話しすることが出来ました。その後も終日オンライン授業に参加し、週末には放課後に一緒に登校し、先生や友達とお話しすることが出来ました。

2月中旬からは最後の授業は学校で参加できるようになりました。登校中、気持ち悪さや息苦しさが出ることもありましたが、HR水を噴霧し登校することが出来ました。そして5年生の最後の授業は学校で参加することが出来ました。

春休みに娘と事務所にお伺いさせて頂きました。野口さんからは、娘に無理をさせることでダメージを与え、回復するのにエネルギーをとても使うことになり、回復が大変になったり、回復できずに引きこもりになる可能性があるので、無理をさせたり焦ったりせずに、娘の気持ち通りに動くこと。また、娘は大勢の人が周りにいるところでは、緊張して気持ち悪さや息苦しさが出ることに気付き、そのこともお伝えしましたところ、魂にお光を届けさせて頂き、浄まってくれば、はねのける力を頂くことが出来るようになり、そのうち良い状態になっていくので希望を持つこととご指導頂きました。

4月に入り娘は6年生になりました。クラス替えがあり担任の先生は同じ先生で、娘のことをよく分かっており、また仲良しの友達と一緒になって、他の友達も含めて娘にとって良いクラスとさせて頂きました。新学期も強い怠さや気持ち悪さが出まして、登校するか悩む日もありました。悩んだ日は、とりあえず学校まで行く気が起こり、道中立ち止まって考え、行くと決心して登校することもありましたが徐々に落ち着き、登校がスムーズになりました。

4月下旬からゴールデンウィーク中に高熱と風邪の浄化を、その後もお腹の浄化を頂きました。共に野口さんからご指導を頂きました急所を重点的にヒーリングをしまして良くならせて頂きました。その後は登校については悩むことがなくなり、きちんと私に意志を伝えることが出来、登校できる時間や日数が増えていきました。

5月31日からは一時間目から登校できるようになり、一学期の最後の日まで続けることが出来ました。夏休みになり、時々「二学期からは通学班で登校してみようかな」と言うようになりました。そして始業日の朝も気持ちが変わることなく通学班で登校することが出来、現在まで続いております。

また、10月に修学旅行がありました。以前から車酔いがあり、昨年の林間学校に参加した時に吐いてしまったことがトラウマになり、娘は最初参加したくないと言っていました。しかし、その後は行きたい気持ちが出てきました。野口さんからのご指導でヒーリングをさせて頂き、出発日近くには不安はありながらも行きたい気持ちが強くなってきていました。出発当日の朝になり娘は悩んでいましたのが、娘は「行きたくなくなった」と言いましたので参加しませんでした。私は参加しないことが何か理由があるのではないかと思いながら娘と過ごしました。
その日の晩、入浴後に蕁麻疹が出ました。また、修学旅行を終えた後の最初の登校日に、娘のクラスの半数の児童が欠席し、そのうちコロナウイルス陽性者が何人も出ました。他のクラスも欠席者や陽性者が出たため、その後の二日間は学年閉鎖になりました。もし無理に参加させていたら、蕁麻疹のことでは病院で治療されてしまったかもしれません。

そしてその後、学年閉鎖中の二日間はオンライン授業で参加となりましたが、三日目は登校できましたので、もし参加していたらその程度では済まされなかったかもしれません。
通常に登校できるようになってからも、時々友達関係で悩み、辛い思いをすることがありましたが、不登校にならず気持ちを切り替えることが出来、また野口さんにご相談させて頂き解決させて頂きました。
修学旅行に行くことが出来なかった娘に、おみやげを買って家まで届けてくれた友達に感激している娘を見て、私も感激の気持ちでいっぱいになりました。

野口さんからご指導を頂きましたことを守り、取り組んで参りましたことでこの度も御守護を頂きました。また、励ましのお言葉を頂き親子で浄化を乗り越えることが出来ました。
野口さん、本当に有り難うございました。


執着が強くて周りが見えなくなっていた

 私は三年前位から、ちょっと精神的におかしくなりました。
急に昔の辛い思い出が甦り、何とも言えない苛立ち、怒りが押さえきれなくなりました。
徐々に精神が不安定になって、胃がギュッと締め付けられ、心臓はドキドキ、足はガクガクする状態が続いてパニックになり、家族にも相当迷惑を掛けました。
昔の辛かった色々なことを、自分なりに解決することが出来ておらず、それがトラウマになっていたのです。
そのことを思い出すと精神状態がパニックになってしまいました。
 
当時、HRにもご心配いただきまして事務所に伺い、先生からお話を頂いたのですが、益々酷くなりました。
私の心の中の悪いものが全て炙り出されたようでした。
パニックになって、何を言っているのかわからなくなるし、辛いことばっかり思い出されて、主人を言葉と心で責めまくり、昔の良かったことなんか全く打ち消されてしまったのです。
 
HRの会員の方が心配して、来て下さってもなかなか良くならず、先生は「HR誌を最初から読みなさい」とおっしゃって下さったのですが、それも手に付かず、居た堪れない気持ちがずっと続いていました。
家族のことを思うと、自分で何とかしなくてはいけないと思いつつも、辛いことばかりが思い出され、相変わらず主人のことを責め続けて、申し訳ないと思いながらも前向きになれませんでした。
 
子供も心配してくれ、周りに話を聞いてくださる方が何人か居るのですが、心の苦しみの原因、本質の話が出来ず、一生私の胸に閉まっておかなければと思っていたのですが、あまりの辛さに先生に初めてお話して、胸のつかえが下りたような気がしました。
それから徐々に良くなり、ここ数年、事務所に伺わせて頂いたり、事務所での勉強会に参加するようになってからは殆どその症状が出なくなりほっとしていました。
 
少しずつ落ち着いてきましたが、今年の四月~五月頃に主人から言われたことで、辛くてどうにもならなくなってしまい、HRに連絡しました。

「事務所にいらして下さい。先生のお部屋で暫くお話していかれたら如何ですか」
とおっしゃって下さったので、すぐに身支度をし、藁をも摑む思いで行かせて頂きました。
一人、先生のお部屋でいろいろな事を考えていると、涙が止まらなくなりました。
 
十年位前、会社のことで主人と先生にご相談に行ったことがあります。
先生のご指導で主人は友人達と設立した会社から独立し、新たに一人になって会社を立ち上げました。
それからお陰を頂くようになり会社も順調になりましたが、私は心の何処かで主人を責めていました。
 
今回、事務所では「以前、先生は奥さんが自分も悪かったと反省し、ご主人に心から手を付いて詫びることが出来なくては駄目だろう。とおっしゃっていました。ご主人に非があるにしても、ご自分にも非があるのでしたら、その部分はきちんとお詫びをされることだと思います。」というお話をいただきました。

私の心、心の闇の部分を先生は見抜かれていらしたのでしょう。
 
数時間、お話して帰宅しまして、先生から親身になってのご指導を頂いておりましたのに、受け止めることが出来ていなかったこと、自分の至らなさ、周りの方々に一方的に自分の悩みや愚痴を何度も聞かせて、嫌な思いをさせてしまったことを反省しました。
そして、悔しい思いも多少ありましたが、自分も至らなかったこと等、主人に詫びることを直ぐに実行しました。
すると主人も「自分も悪かった」と言ってくれ、家の中の雰囲気が徐々に変わり始めました。

このところ随分落ち着きました。おかしくなった時には、咳も物凄く出て、一年くらいで体重は八キロ位減ったのですが、今は一キロ位戻ってきたような気がします。気持ちも顔つきも皆さんが「明るくなった」とおっしゃって下さいます。

私のような場合は「過去の出来事にとらわれている」と言うのかもしれません。
HRの執着のご講話を読んでいきますと、「自己愛」という部分に目がいきまして、私自身の自己愛の執着が強くて、周りが全く見えなくなっていたような気がします。

 

待望の孫を授かりました

 昨年、身体のあちこちが言うに言われぬ痛みに苛まれて、その苦しみに起き上がることも、考えることも儘ならない厳しい状態が続いておりました。
ところが、HRによって信じられないほどの数知れぬお陰を頂き、短い間でどんどん楽にならせて頂きました。
 
この体験を通して順序の大切さを教えて頂き、玄関脇の部屋に置かれていたご仏壇を家の一番の上座に移動させて頂くことができました。HRからの光を我が家の中へ頂けることをご先祖様がどれほど待ち望まれていらしたかを身にしみて感じさせて頂きました。
また、家中のあらゆるものを廃去し、内装も新しくして全てを変わらせて頂きまして、今は心すがすがしく生活をさせて頂いております。
 
家中を全て片付ける為に、息子は友達と一緒に夏の猛暑の中、クロスを剥がしペンキを塗り、家具や仏壇の移動等々、黙々と手伝ってくれました。
後で分かった事ですが、その頃、息子夫婦は赤ちゃんを授かっていたのです。
 
彼等には、今まで何度も悲しく辛い思いが続いていた為、赤ちゃんの話はタブーとなっておりました。息子は子供が授かった喜びを口にする事も出来ず、不安な思いを抱えながら頑張ってくれておりましたが、どのような思いでいたのかと胸が痛くなりました。
やっと安定期を迎えて報告を受けた時はあまりの驚きと嬉しさに止めどなく涙が流れました。
 
内装工事の最中のこと、この度の我が家の大きな目的の為に思いがけない協力者の姿を見せて頂きました。23年前に亡くなった主人が夢の中に現われ、みんなと共にほこりにまみれて古い床のクロスをバリバリと剥がしておりました。主人と長男が力を合わせて我が家の状況を変えようとしてくれている。太い絆で結ばれた二人の尊い姿が目に焼き付いております。
 
お陰様で赤ちゃんは順調に育ち、いよいよ産み月に入り、安産を祈る毎日でした。
 
その頃、私に帯状発疹と思われる症状が出まして、「痛みが激しい時は、洋服の上からでもHR水を噴霧する」と教えて頂きました。HR水のビンを握り締めて、痛みが少しでも楽になるようにと祈りました。妹からは「待望の初孫を抱くために早く病院へ行った方がいいわよ」と勧められましたが、その心配は無用でした。出産の2日前には、痛みを全く気にしないまでに回復させて頂き、5月3日、元気な男の子が生まれました。高齢出産にも関わらずとても安産でした。
 
ご先祖さまのお喜びを肌で感じると共に、跡取りを授かった思いで我が家のこの上ない喜びの日となりました。

熱を出したら成績が良くなる!

 中学2年の息子は、1学期の中間試験の10日ほど前に38度以上の熱を出し、学校から「念のため病院へ行って下さい」と言われ、診て頂くと、インフルエンザB型ということでした。
病院から帰ると、熱はどんどん上がり40度を超えました。いつも通り薬を飲みませんでしたので、高い熱は3日、微熱も3日くらい続き、平熱に戻ったときには試験が3日後に迫っていました。
 
こんな状況でしたので、本人も今回の試験はお手上げと感じたようですが、2日間はできるだけのことをしようと頑張って勉強していました。試験の結果は意外なことに点数、順位ともに今までで一番良かったのです。本人によると、高熱が出て汗をたくさんかいた後は、とても頭も身体もスッキリするとのことでした。
 
2度目は2学期の中間試験の1週間前に熱を出し早退しました。今回の熱は38度程でしたが、とにかく痰が酷かったです。(今年の春から耐震工事、校舎立替えでアスベストなども飛んでいた可能性があるので、そのような悪い物も出して頂いたのだと思います。)
またまた完治したのは試験直前で、1学期の中間試験のようなことは起こるまいと思っていたのですが、前回よりは少し下がったものの成績維持に近い状態でした。
 
さすがに2学期の期末試験では熱も出ず試験を受けましたら、とても難しかったらしく、本人もがっくりしていましたが、他の人の点数もかなり下がっていたので、結果として息子の成績の評価は、1学期よりも上がっていました。
 
HRで言われるように、「熱で頭の中の悪い物を溶かして頂いたら成績が良くなる」というのは本当なんですね。
親子で実感させて頂いた体験となりました。
 
また、今年の春にはノロウィルスにも罹りましたが、お医者さんに行くことも、薬を飲むこともなく、3日ほどで完治させて頂きました。このノロウィルスで熱、嘔吐と下痢で、身体の中の悪いものを出す大掃除をして頂いたのだと思います。多くのお陰を頂き感謝の気持ちで一杯です。有り難うございました。

長年の生理痛が完治の方向へ (横浜市 I,A)

  私は、十代の頃から生理痛に悩んでいましたが、十年程前から、腹部や腰部の激痛が毎月起こるようになりました。
鎮痛薬を服用して痛みを抑えていましたが、鎮痛薬が効かなくなり、長いときには三日以上に亘って激しい痛みが、数時間おきに起こるようになりました。
当時、難病の母の介護をしていましたが、生理のときは起きて作業をすることができず、痛みを堪えているのがやっとでした。

父がHRに入会して、薬の恐ろしさなどを勉強させて頂き、私も2007年に入会してからは薬を一切止めました。
入会してすぐの頃、ほぼ無痛で過ごさせて頂いた月がございましたが、その後、毎月これまで以上の激痛に襲われるようになりました。
 
症状は腹痛、腰痛、頭痛などで、痛みは、鈍痛であったり鋭痛であったり、大抵生理の一日目と二日目に下腹部に刺すような、締め付けるような、何かが暴れているような物凄い痛みが数時間おきに、数時間続きました。
あまりの痛みに「もういっそのこと死んでしまいたい、誰か殺して欲しい」と何度も思いました。
痛みを和らげるために、湯たんぽで暖めたり、楽な姿勢を探してみたり、足を布団の中でバタバタさせてみたりと色々試しましたが、どれも特に効果がなく、ただ時間が過ぎるのをひたすら待っていました。
鎮痛薬が毒だとわかっていても、飲みたくなることも何度もございましたが、何とか薬を飲まずに凌ぐことができました。

母が亡くなってからもこの痛みは変わらず、二年程前から黒いレバーのような塊が、経血に混じるようになり、痛みの程度が少しずつ変わってきました。
これが出ると痛みがなく、後にこれが毒素の塊だとわかりました。
また、生理の十日程前から前日に掛けて、一日から数日間、精神的な不安定状態、イライラや抑うつ状態になり、わけもなく急に泣き出したり、大声で叫んだりするような症状が出始めました。
医学的には、月経前症候群(PMS)などと診断されるものだと思われます。

一昨年、転居し、新しくお仏壇を整えさせて頂きましてから、痛みが和らぐ日が多くなってきました。
それに伴って、生理前の不安定な状態も症状が重くなってきましたが、昨年の4月、症状の転換をさせていただきました。

4月4日、酷い激痛と共に嘔吐をしました。
4月14日にHRの東京セミナーの司会を務めさせて頂きましたが、その前日に大きな気落ちに襲われました。
また、HR誌に掲載させて頂く記事を完成させた4月24日の前日にも、朝から大きな気落ちをしていましたが、それを乗り越えさせて頂いた後、生理前の気落ちも、普段の気落ちも、症状が軽くなってきました。

その後も痛みは続きましたが、以前程酷くはなく、9月は無痛で、10月は下腹部の痛みと酷い頭痛がありましたが、11月は少し痛みがあった程度でした。
12月も腹部と頭の痛みがありましたが、以前のような激痛はなく過ごさせて頂いています。
まだ数回ですので、またあの痛みが来るのではないかと、毎月ビクビクしていますが、完治の方向へ向かわせて頂いているように感じます。

この十年以上に亘る痛みは、毒素を溶かして頂くためのものだと思います。
HRに入会した当初は、「全然良くならないし、HRなんて効かないじゃないか」と思っていました。
症状は色々ありましたが「こんなに沢山、悪いものを外に出して頂いていたのだ」ということを今になってやっと理解させて頂けました。

また、様々な方々にご相談をさせて頂き、食べ物を自然食に近い形にして食生活を改善することができました。
家事やアルバイトなどを生理痛の中でもこなすことができたこと、様々なことを乗り越えさせて頂いたことを本当にありがたく思います。
どうもありがとうございました。
 
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