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勉強優先で家事はさせない

勉強優先で家事はさせない

自利は自己中心とも言います。自分の利益を最優先する考え方で、誰もが生まれながらに持っている本能です。嬰児が母親の乳房に吸い付き、紅葉のような手で一方の乳房を握っているのは自衛本能と言われていますが、無意識に自分を守ろうとする本能で、教えられてしているのではありません。それは生まれながらに備わっている自利の働きで、生存上なくてはならないものですから否定は出来ません。
 
一方、利他とは人に迷惑を掛けず、人の利益になることを教えて上げるとか、自ら率先して人の役に立つ働きをすることであり、今日的に言えばボランティア活動等も、その利他行の一環とみてよいでしょう。或いは列車内で座席を譲って差し上げるものも立派な利他的行為ですが、それらの実行には自己犠牲が伴います。
 
日本人は公衆道徳の観念が薄く、町や海や山、ハイキングコースにもゴミが投げ捨てられていたり、煙草の吸殻を人道に無造作に捨てていく人もいます。これは自利の勝った(自己中心)行為です。これを道徳心の欠如という人もいますが、道徳心以前の人間性にあるのではないでしょうか。躾をすべき年齢時に家庭で人間の基本姿勢を教えていなかった結果だと思います。 
 
小学生頃までに、遊んだ後は遊び道具は必ず元にあった場所に片付けさせる、外出から帰れば靴は揃えて脱ぎ、又は靴箱に入れる、という習慣を小さい時から教え込んでおくと、「そうすべきだ」という感覚はその人の人柄に消化されていきます。

 学生になって、勉強道具を放りっぱなしにするということもなく、自分の部屋は自分で整理整頓をする。その習慣が年と共に応用へと変わり、部屋以外の片付けを手伝う、料理を手伝うように成長をしていき、利他の心を育てます。
 
ところが、現代の親は勉強優先で家事は何もさせない、子供部屋の整頓も母親がし、食事の用意から蒲団の上げ下ろしまで引き受け、子供は勉強だけして成績が上がれば満足、という両親が増えているようです。
たまに整理整頓をするように子供に言っても身に付いていないので、手伝う気持ちは微塵もなく反発するのが落ちです。
 これは母親が子供の自利を育てた結果で、責任は育て方を間違えた両親にあると知ることが大切です。
 
また、小学生時代から勉強、勉強と詰め込むと、ある時突然、勉強を嫌悪するようになる、今風に言えば「キレル」ということでしょうか。
これを悪く解釈し、両親や先生方が躍起になっても、なかなか元へは戻らないものです。
 「キレル」子供は個性が豊かで、両親に反発するだけの勇気があるから、ゆくゆくは自立して立派な社会人になれるであろうと思いますが、我がままで「キレル」のは、育て方に問題があったのです。

(「HRの世界 心に糧を蒔く」より ) 
 
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