未経験、四十歳!就職決まりました
将来、ゲストハウスを経営するのなら実務経験がきっと役に立つし、必要であろうとの思いから、ホテル・旅館業界のみに絞って就職活動をしていましたが、自己への過信から、すぐにでも内定が貰えると甘くみていました。
失業期間は、二ケ月と十日ほどで現在の平均から考えると、とても短いものでしたが、その最中は、精神的にかなり追い詰められていました。家族を持ちながら、体が健康でいて、働くことができない、応募すると落とされる。この苦しみは、想像以上でした。
しかし、就職が決まってみると、今までの苦しみは、自分にとって必要な事で、長い人生から見ると、短くも貴重な期間であったと気付かされます。就職活動中は、何度も履歴書、職務経歴書を書きましたが、その為の自己の棚卸をしていくなかで、自分のやりたいこと、向いていることなどを改めて確認することができました。
また、時間的な余裕から、本、映画、講演会等にも参加する事が出来ました。本では、小田先生の著書、HR誌を今一度読んでみました。今の自分にぴったりの多くの言葉にどれだけ励まされ、力を頂いたことか計りしれません。
特に事務所にお伺いして、先生の机の上に飾られている色紙「人は 明日の 夢に生きる」のお言葉に接した時は、自分の背中を押して頂いているような気がして、とても勇気付けられました。
現在は、三ヶ月の研修期間中ということで、江東区にあるホテルへ通勤しています。幸い上司、仲間にも大変恵まれ、覚えることが多く大変ではありますが、喜びをもって楽しく働かせて頂いています。
これで、我家も安泰かと思いきや、私の失業で、妻に心労が加わり、収入の不安から、小学校教員の算数の講師として四月から働いていますが、相当、大変なようです。

腰部脊柱間狭窄症の父が前向きに
昨年の11月に突然父が起き上がれなくなって、病院に運ばれたと連絡を受けました。

トラウマになっていた上司が移動!
それはそれはとても厳しい上司。私のトラウマ。このトラウマのおかげで私は幾度となく仕事が嫌になっていったのです。私は元来、失敗するのが得意なのですが、上司は失敗すると冷たい目で見てくるので、徐々に失敗を恐れるようになりました。
「もう、こんなの嫌」と思っていたころ、別件で事務所へ伺うことがあり、ひょんなことから仕事の悩みをお話することができました。自分の今の仕事が向いていると感じていること、仕事をそれなりに楽しめることをお伝えしました。
それから間もなく、それは突然、自分が所属しているグループとは別のグループのリーダー(課長)が私に「高橋君にとって、今のグループから抜けた方が仕事やりやすいかな?」と言われ、ビックリしてしまい、そのときは「考えさせて下さい」と申しました。
それから何日か経って、会社の大規模な組織変更が発表されました。
おっ!と思いましたが、上司は今の仕事に長年携わっていたので、上司の異動はないだろうなと、異動するなら私かな、お願い、異動!と思っていたのですが、上司が異動とのこと。信じられぬまま思わず心の中でガッツポーズです。

父の尿道結石
父(61才)は20年前に2回尿道結石と診断されたことがあったそうです。
今年9月にも似たような痛みが出て仕事を休むことになり、その時「無痛で尿道から小さな石が出た」と言っておりました。それから2週間ほどしてまた痛みのない状態で小さな石が出ました。その時の尿量は大変多かったそうです。

「てんかん」を完治させて頂きました
私は10歳の時に初めて発作を起こし、それから5ヵ月後、2度目の発作で「てんかん」と診断されました。抗けいれん剤(現在名:抗てんかん剤)が処方されて、医師からの説明では「この薬は発作をおさえるだけで病気を治すことは出来ない」と言われたそうです。
その時からいつ何処で倒れるか分からない不安な日々が始まりました。
そんな中、母の所に「HRで同じ病気を治された方がいらっしゃる」というお話が舞込んできて、面談をさせて頂けることになりました。
「てんかん」と診断されて4ケ月後のことです。小田先生は「大丈夫、治りますよ」とおっしゃって下さり、その日からHR会員として過ごす事になりました。
薬は半年ほどで服用を止めました。中学・高校と倒れることはあったものの、ほとんどが家族の前で、たまに外で倒れても適切に対応してくださる方が近くにいるなど、奇蹟的な事を何度も体験させて頂きました。
年々発作が少なくなり、無事大学にも合格し大きな事故もなく勉学に努めさせて頂き、そして4年生の5月に最後の発作が起こりました。
卒業と同時に両親の心配の中、研修のため大阪で2年間過ごす事になりましたが、何事もなく研修を終え実家に戻りました。
その後3年間も発作の予兆もなく過ごさせて頂きました。
3年間の中では就職もし、そこで耐えがたいほどの精神的、肉体的な苦痛がありました。そういう状況でしたので、両親も発作が起きるのではないかと心配していましたが、予兆もなにも起きませんでした。
医師からは「5年発作が無ければ病気は完治している」と言われたそうで、それを母から聞いていましたが、最後の発作から5年後が今年の6月でした。
早くこの日が来ないかと、とても楽しみな気持ちと同時に不安もありました。
そして6月に入り不思議と気持ちも明るく前向きな心で朝を迎えさせて頂きました!
いつ倒れるか分からない不安な日々は無く、今では毎日元気に過ごさせて頂いています。
両親もとても喜んでおり、本当に嬉しく感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました!
