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健康は人生の宝

娘の卵巣嚢腫

2月中旬、次女から突然電話が掛かってきた。

「どうしたの」
「お腹が痛くて、痛くて…」
「どこが痛いのか」
「お臍の右側のところ」
「ことによったら盲腸かも知れないね。盲腸なら2、3日もすれば治るから、じっと我慢していなさい」

と私は答えて電話を切った。が、妻は「やはり一遍様子を見に行った方がよいのではないですか」と私に行くことを奨めた。
しかし、婚家の両親は医学一辺倒で、医者以外は信じないという点と、連れ合いも無批判的に医学を信じている家庭なので、私が行くことで気まずい思いを娘にさせてはよくない、という配慮で、娘が一人で居る時間帯を見計らって行くことにした。
私が娘夫婦のマンションに着いたのは夕暮れ近い時間であったが、着いてみると留守になっていた。もしや病院に行ったのではないか、と一瞬腹立たしさを覚えたが娘が、帰宅するまで待つことにした。
その間に姑さんから「医者が抗生物質を注射すると言っているがどうしましょう」と電話があり、直ぐ事情を話して止めて頂いた。
それから間もなく帰って来ての話は、「お義父さんがいらして、おんぶして産院まで連れて行って下さり、レントゲンを撮られた。
レントゲンで卵巣がボール大に腫れ、中に髪の毛や歯があって、手術をしなければ絶対に治らないと言われた」と言うのである。
産院には手術用の器具がないので、ご丁寧にある大病院の某医師に紹介状を書いて下さったと言う。
「とにかくマンションでは不便だから実家に帰ろう」ということに対しては、婚家も旦那も異存なく気持ち良く許可をしたので、取る物も取り合えず、身の回りの必要品だけを持って我が家に帰って来た。

薬は一週間分もらってきたが直ぐに捨てさせた。
その点、無薬で育っていたので従順に言う通りにして、HRを表裏(2枚)から付け、HR水は毎日1回乃至2回、右腹に噴霧する生活が始まった。

娘の一番心配になっていたことは、婚家の両親の気持ちを裏切ることで気まずくなるのではないか、ということであった。

私達は「とんでもない。今度、CTを撮るまでに良くなっていれば誰にも文句を言われずに済む。その日まであと二十日ある。
間違いなく影が消えるようにするから、安心をしてパパの言う通りにしなさい」と強い語調で言い聞かせた。
我が家に来て2、3日後には痛みも取れ、日常生活に差し障りはなくなったが、「CTを撮るまでは帰らないように」と話し合ったところ、本人も上げ膳据え膳の実家の生活が余程良いとみえて腰を据えた。

いよいよCTを撮る日が来た。幸いに病院には娘の義理の叔母が長年看護婦を勤めており、彼女も「絶対に手術はしてはいけない。
私からも担当の先生によく話をしておくから、安心をして検査を受けたらよい」と力強いアドバイスを頂き検査を受けた。
ところが、MRIの結果、医師から「子宮も卵巣も綺麗で何もありません。只、輸卵管が少し腫れている
ようだから」と薬を処方して下さった。そして3月下旬、「今一度検査をするから」と言われて帰って来た。
私は「もう病院に行く必要はない」と言ったが、娘の診断には必ず旦那が同伴するので、彼の手前上行かざるをえないと立場を説明するので、私もやむをえないと許した。

「卵管の腫れもなくなり、婦人科系には何の異常もない」という診断であったが、医者は「3日分の薬と、3ヶ月後に今一度検査をしましょう」ということで帰って来た。

今にして思うと、産院に連れて行かれたことで助かったこと。
もし、救急車で大病院へ運ばれていたらきっと手術、又は強い薬を使われていたことだろうと、ホットしている。

ここからは私の意見と見解である。

病院の引き延ばし戦術

娘の卵巣嚢腫を大別すると三段階になっている。
第一は、強烈な腹痛が始まった時、何故腹痛かと言えば卵巣内に膿が集積し、それが固形化した為に髪の毛様や歯様の形が出来(医学的には、卵子だけでも子供の一部の形態が出来ることがあると言われている)、それが溜まっていくと、卵巣機能が働かなくなるので外に排泄しようという作用が起きる。

その時固形物のままでは排泄出来ないので、それを溶かそうとする。
溶かすには体温以上の熱が必要になるので卵巣に熱が出る。
その時に痛みが出るが、痛みは老廃物の溶解排除が起きているので喜んでよいのである。

それを「医学的には手術をしなければ治らない」と医者の見解を聞かされると、患者は病気への知識がない為に従順にその言葉に従う。それが奇形婦人製造となるのである。

卵巣嚢腫はそれほど痛みは伴なわないものである。
癌と同じで気付いた時には相当な大きさになっているので、医者はすぐに手術と言う。
卵巣を取れば当然子供は出来なくなるが、その事よりも女性ホルモンのアンバランスが、性格までもアンバランスにしてしまうという、重大なことを当人達が忘れていることである。

しかし、医者を信じている人はその事よりも、生命が大事と切開排除する方法をとる。誠に残念なことである。

第二は、CTを撮り、子宮卵巣が綺麗という診断で、あれはわざわざ高い薬を処方して出す必要はないのである。
こう書くと一般の人は「それは病院の親切心だ、用心の為に薬を出しているのだ」と善意に解釈をするが、非常に危険な解釈である。

医聖と言われ、現代医学の創立者であるヒポクラテスは、「薬というものはない。毒をもって毒を制するのだ」と言っているが正にその通りである。
薬を常習飲むと他の臓器に異変が起きることがある。それを医学では後遺症と言うが、薬を飲まなければ後遺症は起きないし、病気よりも後遺症の方がより恐いのである。
するとまた病院の診断を受けると別の薬名の処方をされる。というように、一旦病院と仲良しになると、善意の誘惑に引っかかったように手が切れなくなる。
その度に健康保険を利用するので、経済的にはそれほど負担は掛からないが、体の負担は大変なものである。
心身が蝕まれていることに気付かないと、大病を誘発する恐れがある。

第三は、第二と同じように、何もないのに何故3ヶ月後に診断をすると言うのだろうか。3日分の薬に何か仕掛けがしてあるのではないか、と疑いたくなる。
これは病院側が患者と縁を切らない為の方策だと思えてならない。

娘にはもう行く必要はないと話し、それを素直に信じているからよいものの、HRを知らない人は病院、医者の親切心に随喜の涙を流して喜ぶであろう。

今日、レントゲン、CT、MRI、心電図、脳波測定等々、機械診断をすればどこかに異常が発見されることは当たり前である。
どんな人間でも完璧はありえない。それが生きているという証でもある。

人体は相当に幅広い選択が出来るように出来ている。
例えば、血圧にしても、高い方が160から200まであっても体は十分に堪え、ホメオステーシスが働いて元の正常値に戻そうとする。
それを160が高血圧と医診を信じて降血圧剤を使用し始めると、人体保有のホメオステーシスが退化して、薬で下げる以外に方法がなくなる。

反対に低い方が100から120あっても、自然放置していれば下がるものであるから何等心配はいらない。
只、食事だけは要注意である。それは難しいことではない。野菜を主とした献立にして、肉は少量いただくことにすればよい。
また、血圧の上昇は心配事、くよくよする日常生活がもっとも悪く、血圧は精神状態によって左右されるものである。
また、糖尿病で血糖値を云々言われ、百以下なら正常で120以上は高いと、インシュリン療法をするがこれも間違っている。
血糖値が200あってもそれほど心配することはない。
よく合併症を併発すると言われるが、その原因の一つは飲薬による場合が多い。
それを知らないから、糖尿病イコールインシュリンとお決まりの療法をすると、一生病気とお付き合いせざるをえなくなる。注意すべきである。

子宮内膜症の増加

子宮内膜症とはどんな病気か知っておく必要がある。
主な症状は、月経時に下腹部痛と腰痛(月経困難症)、性交痛、不妊症、続発性過多月経を挙げることが出来る。

症状がよく似ている病気に子宮筋腫や卵巣嚢腫がある。合併症としては不妊症、子宮腺筋症、骨盤内癒着を起こしやすい。
どんな病気かに就いては諸説があって確定的ではないが、「月経時に剥離した子宮内膜が、卵管を通って腹膣内に散らばって増殖が起こることもある」と言われている。

この病気に就いて何故特に取り上げたかと言うと、現在女性(成熟女性)の70、80%が内膜症に罹っているという報告があったからである。

医学では完治させるには手術が一番よいと言っているが、もしも手術に皆が依存すると、出産出来る主婦が激減して少子化に拍車が掛かり、重大な危機的状況に陥る恐れがある。
過去には非常に少なかった病気が、何故こんなに増えてきたのか。医学的には内膜症から癌への移行は少ないと言っているが、それとても保証付きでそう言っているのではない。
卵巣嚢腫にしても毒血、古血が排泄されずに溜まってなる病気であると説明書には書いてあるが、出口がない為にどんどん大きくなり、甚だしい人は子供の頭大位に大きくなり、臨月かと思えるほど腹部は腫れあがる。
そうなると手術以外に手当てはなく、婦人科系総てを除去してしまう場合が多い。
内膜症も投薬で治る確率は低く、再発防止の為に子宮を除去する方向に進んでいる。

私は「このような治療法は絶対に避けるべきである」と常々主張をしているが、本当に判る人は九牛の一毛にも満たないのが現状である。

ここでHRのこの病気に対する見解を述べると、人間の臓器には人によって多少の差はあるが、毒血、古血が溜まっている。
それが病気の70、80%の発生源となっている。だからその毒古血を体外に排泄させる方法があれば、何等の心配はいらないことになる。

では、どうすればそれが可能か、と言えば、腎臓の活性化によって可能となるのである。HR本体を腎臓にフィットするのも、その原理に基づいているからで、腎臓が正常に働き出すと、血液中の不純分子を外部に排泄することが出来るので、手術をする必要はなくなるのである。

女性機能に就いて一寸説明をするが、医学的説明とは違うので心して読んでほしい。

先ず、卵巣嚢腫の排泄口は輸卵管から子宮に降り、子宮から外部に出て来る。よく女性で下り物、俗に白帯下が多く、それに臭いが強いという人がいる。
また、腰気はないが月経量が多く、普通の人の倍近くあるという人もいるが、それ等は子宮、並びに卵巣に溜まっていた毒血、又は汚物の排除作用が始まっている事を意味し、病気というよりも健康増進作用と喜んでよいのである。
発熱があっても決して冷やしてはいけない。冷やすと、液体化した毒素が固結してしまい、排泄は止まるがそれが芯となって、その外部に毒血や汚物が附着するので、予想外のスピードで大きくなっていく。


そこで考え方としては、「熱は有り難い、これで以前よりも健康になる」と喜びを持って、HRに感謝すればよいのである。
このことは、ご主人によくその理屈を話して納得してもらうことが大切であるが、奥さんの説明では意味不明という時には、私の所に同伴でお越しになることをお奨めする。

特に若夫婦は男性が求めた時、気分が優れない、痛みがある、その気になれないと、拒否する日数が多くなると男性はイライラが募り、思わぬ口論となったりするものである。
早く帰宅しても面白くないということから、外食や飲み屋で時間を過ごし、午前様の帰宅になると女性側は、事情を理解してくれない、とこれまた憂鬱な日々となっていく。
この悪循環を繰り返すと夫婦間に亀裂が生じ、不和の原因となりかねない。
夫婦間はオープンが一番よい。何でも話し合う。それによって、相互理解を深めていくようにすることが大切である。

躰の不思議

婦人科系の病気を書いてきたので、ここでも関連のあることを書く。
「月経は何故あるのか」に就いて、科学的な解釈は抜きにしてHRの見解を述べることとする。

先程も一寸ふれたが、月経は卵巣や子宮の大掃除をして老廃物、毒血古血を体外に排泄する役目を果しているのである。
月経の度に子宮内膜が剥がれて外に出る。ということは、自然の摂理によって子宮内を常に清浄にしておく為である。

それは子供を宿す準備が何時でも出来ているということである。子宮とは子供の宮と書く。
一般にお宮とは聖なる場所で、掃き清めることが義務付けられているが、子宮は子孫を宿す為には、これ以上ないほどの聖なる場所として子供を迎えるのである。
昔から、子供は宝だ、という表現と、子供は光だ、というところもあるほどだ。
その子供が十ヶ月間その中で成育されるのであるから、子宮は女性の宝であり、光であると認識して欲しい。

理屈はともかく、女性の役割は子供を宿し、無事お産をして、立派な子孫を育て上げて残すことにある。これに勝る仕事はないと自覚して欲しい。
と言いたいのは、現在の女性の一部ではあるが、不妊治療を受けたり、ピル使用で月経を調節する。堕胎は当然の顔をして病院の門をくぐる。
そして、自分勝手なことをする。医者は手術で宝を葬ることに一粒の涙もなく、ごく当たり前の
ことをしたという満足感で事が終わってしまう。
よく術後の女性に「残念でしたね」と声を掛けると、「いいえ、さばさばしました」という返事が、何人もの人から返って来たのには驚いてしまった。
残念だと声を掛けた事が馬鹿馬鹿しくなって、勝手にしろ!、と言いたい衝動に駆られた記憶がある。

それほど今の人達は、体の構造と臓器の役割を知らされずに成長してきたのは、躾の時期と性教育が如何に未熟であるかと痛感させられるのである。

性交は本能の欲求であるから止める必要はないが、その結果を考えずに、心の赴くままに衝動に駆られて無節操な行為に走ると、病魔に冒される危険のあることを十分に学んで欲しいと思う。
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