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体験報告

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執着が強くて周りが見えなくなっていた

 私は三年前位から、ちょっと精神的におかしくなりました。
急に昔の辛い思い出が甦り、何とも言えない苛立ち、怒りが押さえきれなくなりました。
徐々に精神が不安定になって、胃がギュッと締め付けられ、心臓はドキドキ、足はガクガクする状態が続いてパニックになり、家族にも相当迷惑を掛けました。
昔の辛かった色々なことを、自分なりに解決することが出来ておらず、それがトラウマになっていたのです。
そのことを思い出すと精神状態がパニックになってしまいました。
 
当時、HRにもご心配いただきまして事務所に伺い、先生からお話を頂いたのですが、益々酷くなりました。
私の心の中の悪いものが全て炙り出されたようでした。
パニックになって、何を言っているのかわからなくなるし、辛いことばっかり思い出されて、主人を言葉と心で責めまくり、昔の良かったことなんか全く打ち消されてしまったのです。
 
HRの会員の方が心配して、来て下さってもなかなか良くならず、先生は「HR誌を最初から読みなさい」とおっしゃって下さったのですが、それも手に付かず、居た堪れない気持ちがずっと続いていました。
家族のことを思うと、自分で何とかしなくてはいけないと思いつつも、辛いことばかりが思い出され、相変わらず主人のことを責め続けて、申し訳ないと思いながらも前向きになれませんでした。
 
子供も心配してくれ、周りに話を聞いてくださる方が何人か居るのですが、心の苦しみの原因、本質の話が出来ず、一生私の胸に閉まっておかなければと思っていたのですが、あまりの辛さに先生に初めてお話して、胸のつかえが下りたような気がしました。
それから徐々に良くなり、ここ数年、事務所に伺わせて頂いたり、事務所での勉強会に参加するようになってからは殆どその症状が出なくなりほっとしていました。
 
少しずつ落ち着いてきましたが、今年の四月~五月頃に主人から言われたことで、辛くてどうにもならなくなってしまい、HRに連絡しました。

「事務所にいらして下さい。先生のお部屋で暫くお話していかれたら如何ですか」
とおっしゃって下さったので、すぐに身支度をし、藁をも摑む思いで行かせて頂きました。
一人、先生のお部屋でいろいろな事を考えていると、涙が止まらなくなりました。
 
十年位前、会社のことで主人と先生にご相談に行ったことがあります。
先生のご指導で主人は友人達と設立した会社から独立し、新たに一人になって会社を立ち上げました。
それからお陰を頂くようになり会社も順調になりましたが、私は心の何処かで主人を責めていました。
 
今回、事務所では「以前、先生は奥さんが自分も悪かったと反省し、ご主人に心から手を付いて詫びることが出来なくては駄目だろう。とおっしゃっていました。ご主人に非があるにしても、ご自分にも非があるのでしたら、その部分はきちんとお詫びをされることだと思います。」というお話をいただきました。

私の心、心の闇の部分を先生は見抜かれていらしたのでしょう。
 
数時間、お話して帰宅しまして、先生から親身になってのご指導を頂いておりましたのに、受け止めることが出来ていなかったこと、自分の至らなさ、周りの方々に一方的に自分の悩みや愚痴を何度も聞かせて、嫌な思いをさせてしまったことを反省しました。
そして、悔しい思いも多少ありましたが、自分も至らなかったこと等、主人に詫びることを直ぐに実行しました。
すると主人も「自分も悪かった」と言ってくれ、家の中の雰囲気が徐々に変わり始めました。

このところ随分落ち着きました。おかしくなった時には、咳も物凄く出て、一年くらいで体重は八キロ位減ったのですが、今は一キロ位戻ってきたような気がします。気持ちも顔つきも皆さんが「明るくなった」とおっしゃって下さいます。

私のような場合は「過去の出来事にとらわれている」と言うのかもしれません。
HRの執着のご講話を読んでいきますと、「自己愛」という部分に目がいきまして、私自身の自己愛の執着が強くて、周りが全く見えなくなっていたような気がします。



 
 

待望の孫を授かりました

 昨年、身体のあちこちが言うに言われぬ痛みに苛まれて、その苦しみに起き上がることも、考えることも儘ならない厳しい状態が続いておりました。
ところが、HRによって信じられないほどの数知れぬお陰を頂き、短い間でどんどん楽にならせて頂きました。
 
この体験を通して順序の大切さを教えて頂き、玄関脇の部屋に置かれていたご仏壇を家の一番の上座に移動させて頂くことができました。HRからの光を我が家の中へ頂けることをご先祖様がどれほど待ち望まれていらしたかを身にしみて感じさせて頂きました。
また、家中のあらゆるものを廃去し、内装も新しくして全てを変わらせて頂きまして、今は心すがすがしく生活をさせて頂いております。
 
家中を全て片付ける為に、息子は友達と一緒に夏の猛暑の中、クロスを剥がしペンキを塗り、家具や仏壇の移動等々、黙々と手伝ってくれました。
後で分かった事ですが、その頃、息子夫婦は赤ちゃんを授かっていたのです。
 
彼等には、今まで何度も悲しく辛い思いが続いていた為、赤ちゃんの話はタブーとなっておりました。息子は子供が授かった喜びを口にする事も出来ず、不安な思いを抱えながら頑張ってくれておりましたが、どのような思いでいたのかと胸が痛くなりました。
やっと安定期を迎えて報告を受けた時はあまりの驚きと嬉しさに止めどなく涙が流れました。
 
内装工事の最中のこと、この度の我が家の大きな目的の為に思いがけない協力者の姿を見せて頂きました。23年前に亡くなった主人が夢の中に現われ、みんなと共にほこりにまみれて古い床のクロスをバリバリと剥がしておりました。主人と長男が力を合わせて我が家の状況を変えようとしてくれている。太い絆で結ばれた二人の尊い姿が目に焼き付いております。
 
お陰様で赤ちゃんは順調に育ち、いよいよ産み月に入り、安産を祈る毎日でした。
 
その頃、私に帯状発疹と思われる症状が出まして、「痛みが激しい時は、洋服の上からでもHR水を噴霧する」と教えて頂きました。HR水のビンを握り締めて、痛みが少しでも楽になるようにと祈りました。妹からは「待望の初孫を抱くために早く病院へ行った方がいいわよ」と勧められましたが、その心配は無用でした。出産の2日前には、痛みを全く気にしないまでに回復させて頂き、5月3日、元気な男の子が生まれました。高齢出産にも関わらずとても安産でした。
 
ご先祖さまのお喜びを肌で感じると共に、跡取りを授かった思いで我が家のこの上ない喜びの日となりました。

熱を出したら成績が良くなる!

 中学2年の息子は、1学期の中間試験の10日ほど前に38度以上の熱を出し、学校から「念のため病院へ行って下さい」と言われ、診て頂くと、インフルエンザB型ということでした。
病院から帰ると、熱はどんどん上がり40度を超えました。いつも通り薬を飲みませんでしたので、高い熱は3日、微熱も3日くらい続き、平熱に戻ったときには試験が3日後に迫っていました。
 
こんな状況でしたので、本人も今回の試験はお手上げと感じたようですが、2日間はできるだけのことをしようと頑張って勉強していました。試験の結果は意外なことに点数、順位ともに今までで一番良かったのです。本人によると、高熱が出て汗をたくさんかいた後は、とても頭も身体もスッキリするとのことでした。
 
2度目は2学期の中間試験の1週間前に熱を出し早退しました。今回の熱は38度程でしたが、とにかく痰が酷かったです。(今年の春から耐震工事、校舎立替えでアスベストなども飛んでいた可能性があるので、そのような悪い物も出して頂いたのだと思います。)
またまた完治したのは試験直前で、1学期の中間試験のようなことは起こるまいと思っていたのですが、前回よりは少し下がったものの成績維持に近い状態でした。
 
さすがに2学期の期末試験では熱も出ず試験を受けましたら、とても難しかったらしく、本人もがっくりしていましたが、他の人の点数もかなり下がっていたので、結果として息子の成績の評価は、1学期よりも上がっていました。
 
HRで言われるように、「熱で頭の中の悪い物を溶かして頂いたら成績が良くなる」というのは本当なんですね。
親子で実感させて頂いた体験となりました。
 
また、今年の春にはノロウィルスにも罹りましたが、お医者さんに行くことも、薬を飲むこともなく、3日ほどで完治させて頂きました。このノロウィルスで熱、嘔吐と下痢で、身体の中の悪いものを出す大掃除をして頂いたのだと思います。多くのお陰を頂き感謝の気持ちで一杯です。有り難うございました。

長年の生理痛が完治の方向へ (横浜市 I,A)

  私は、十代の頃から生理痛に悩んでいましたが、十年程前から、腹部や腰部の激痛が毎月起こるようになりました。
鎮痛薬を服用して痛みを抑えていましたが、鎮痛薬が効かなくなり、長いときには三日以上に亘って激しい痛みが、数時間おきに起こるようになりました。
当時、難病の母の介護をしていましたが、生理のときは起きて作業をすることができず、痛みを堪えているのがやっとでした。

父がHRに入会して、薬の恐ろしさなどを勉強させて頂き、私も2007年に入会してからは薬を一切止めました。
入会してすぐの頃、ほぼ無痛で過ごさせて頂いた月がございましたが、その後、毎月これまで以上の激痛に襲われるようになりました。
 
症状は腹痛、腰痛、頭痛などで、痛みは、鈍痛であったり鋭痛であったり、大抵生理の一日目と二日目に下腹部に刺すような、締め付けるような、何かが暴れているような物凄い痛みが数時間おきに、数時間続きました。
あまりの痛みに「もういっそのこと死んでしまいたい、誰か殺して欲しい」と何度も思いました。
痛みを和らげるために、湯たんぽで暖めたり、楽な姿勢を探してみたり、足を布団の中でバタバタさせてみたりと色々試しましたが、どれも特に効果がなく、ただ時間が過ぎるのをひたすら待っていました。
鎮痛薬が毒だとわかっていても、飲みたくなることも何度もございましたが、何とか薬を飲まずに凌ぐことができました。

母が亡くなってからもこの痛みは変わらず、二年程前から黒いレバーのような塊が、経血に混じるようになり、痛みの程度が少しずつ変わってきました。
これが出ると痛みがなく、後にこれが毒素の塊だとわかりました。
また、生理の十日程前から前日に掛けて、一日から数日間、精神的な不安定状態、イライラや抑うつ状態になり、わけもなく急に泣き出したり、大声で叫んだりするような症状が出始めました。
医学的には、月経前症候群(PMS)などと診断されるものだと思われます。

一昨年、転居し、新しくお仏壇を整えさせて頂きましてから、痛みが和らぐ日が多くなってきました。
それに伴って、生理前の不安定な状態も症状が重くなってきましたが、昨年の4月、症状の転換をさせていただきました。

4月4日、酷い激痛と共に嘔吐をしました。
4月14日にHRの東京セミナーの司会を務めさせて頂きましたが、その前日に大きな気落ちに襲われました。
また、HR誌に掲載させて頂く記事を完成させた4月24日の前日にも、朝から大きな気落ちをしていましたが、それを乗り越えさせて頂いた後、生理前の気落ちも、普段の気落ちも、症状が軽くなってきました。

その後も痛みは続きましたが、以前程酷くはなく、9月は無痛で、10月は下腹部の痛みと酷い頭痛がありましたが、11月は少し痛みがあった程度でした。
12月も腹部と頭の痛みがありましたが、以前のような激痛はなく過ごさせて頂いています。
まだ数回ですので、またあの痛みが来るのではないかと、毎月ビクビクしていますが、完治の方向へ向かわせて頂いているように感じます。

この十年以上に亘る痛みは、毒素を溶かして頂くためのものだと思います。
HRに入会した当初は、「全然良くならないし、HRなんて効かないじゃないか」と思っていました。
症状は色々ありましたが「こんなに沢山、悪いものを外に出して頂いていたのだ」ということを今になってやっと理解させて頂けました。

また、様々な方々にご相談をさせて頂き、食べ物を自然食に近い形にして食生活を改善することができました。
家事やアルバイトなどを生理痛の中でもこなすことができたこと、様々なことを乗り越えさせて頂いたことを本当にありがたく思います。
どうもありがとうございました。
 

ゲストハウス開業までの道のり (東京都 K.Y)

 10月8日に念願のゲストハウスを開業し、世界各国のお客様をお迎えする夢のような毎日を忙しく、幸せな気持ちで送っています。ゲストハウスを開業したいと思い始めてから実に15年が経ちました。
 
私がHRに入会したのは17年前、胸にしこりができたことがきっかけでした。母に連れられて、HR事務所に伺いましたが、今になってみればそのことは大した問題ではなく、やりたいことや夢もなく、漫然と日々を過ごしていたことが大きな問題だったのだと思います。

入会して2年後、家族3人で主人の趣味であるサーフィンをするために1年かけて世界中を旅行することになりました。この時、各国のゲストハウスに泊まり歩き、自分たちもこういう宿を作ってみたいなあ…とぼんやりながら夢を持ち始めました。もちろん、本当にやることになるとは思ってもいませんでした。

帰国してからは散々でした。
主人は儲かるという話に誘われて宅配すしの店長になりましたが、仕事が大変きつく、毎日家にいられるのは3~4時間でお正月は不眠不休の三が日、私もほぼ無給で手伝いに駆り出されました。生活に困らないぐらいのお給料は頂けましたが、何か失敗があればペナルティとしてお給料から差し引かれるという、言わばブラック企業でした。転勤も頻繁で友だちもできず、母と電話で話すぐらいの私は精神的に参っていました。

そんな時に母に再び連れられてHRのセミナーに参加しました。すると、その時を境にすっかり鬱症状がなくなり、気分が良くなってしまいました。それ以来、いつも心が温かく、虚しさを感じることがどんどん減っていきました。

宅配すし店に勤めてから3年が経ったころ長男が生まれ、私は店を手伝えなくなりました。主人は無理が続き疲労から失敗を重ねるようになりました。今は何とかなっているけれど、こんな仕事はずっと続けられるわけがない。歳をとったら、どうするのだろう…と思った矢先にお店の出前用バイクが盗難に遭ってしまいました。
今までいい加減に人生を決めてきたこと、社会的責任を持って生きる覚悟ができていなかったことのツケが巡ってきた結果と受け止めました。この時が私たちにとって最悪の時期だったと思います。

それまで主人にHRのことを話したことがなかったのですが、この時ばかりは「HR事務所に一緒に行こう」と言いましたら、すぐに「行く」と言ってくれました。

それから宅配すし店はすぐに辞めて転職し、引っ越しました。
お仏壇も整え、生活が落ち着いてきた頃にHRのご指導をいただき、マンションを購入することになりました。

それまでは賃貸物件に住んでおり、持ち家など贅沢なところに住んだらゲストハウスの資金がなくなってしまうのではないか、と思っていましたが「自分の家を持つとしっかりしてくるからね、ぜひ購入しなさい」とおっしゃってくださいました。
その時はその意味が分かりませんでしたが、それからは人とのお付き合いや仕事の仕方など、今までとは違い誠意をもって大事に接することができるようになりました。
マンション購入で貯金はほぼ無くなり、ゲストハウス計画はお蔵入りかなと思われましたが、このことが後にものをいうことになりました。

少しずつ私たちの人間性の改革がされていき、自分たちに直さなければならないところがあると、気づかせていただく出来事が起きました。
お金は十分ではなかったけれど、夢は諦めきれず、暇を見つけては物件探しや情報を集めていました。
東京では資金の関係で開業は難しいと踏んで、京都まで物件を探しに行った時期もありました。結局、京都でゲストハウスを開く計画は無くなりましたが、開業するための知識を得ることができました。すべてのことは必要で起こってくるのだと感じました。

その後、手持ちがなくては動けないと判断して、HRにご相談して購入したマンションを売りに出すことにしました。市場に出してわずか3日、しかも少々上乗せしていた価格のまま値切られることもなく売れてしまいました。この頃は、運命が上向きになってきた時期と一致します。

マンションは購入した時よりも高く売れたので、そこに住んだ7年間は住居費無しで生活していた計算になりました。普通に借りれば1か月20万円は下らない物件で、広く、子供を育てるには十分すぎる家でした。名残り惜しく感じましたが、少しでも執着するのは良くないので、「前に進みなさい」ということだろうと潔い気持ちを持つことにしました。

マンション売却から1年が過ぎ少し焦り始めていたころ、今の蔵前の物件が見つかりました。
最初は資金が少し足りず不動産屋さんからは「無理」と言われていましたが、ちょうど私の実家の所有していた土地が売れ、両親から援助してもらう形で購入できることになりました。あまりのタイミングの良さにびっくりしました。

改築が始まり、築70年の木造建築は大工さんの仕事場になっていたので1階の天井高が4mもあり雰囲気はいいのですが、天井近くまで上ると「落ちたら死ぬな」と思えるぐらいでした。ほかにも電気、水回りなどなど…物件が決まったはいいが、これからどうしようと、不安な気持ちでしたが、問題や不安なことが出てくると必ず助けて下さる方が現れて解決していきました。

お金の問題もその都度、必要なだけ入ってきて、十分な運転資金がある中で開業することができ、安心して営業できました。
本当にお客様が来て下さるのか心配していたのですが、予約サイトに登録したとたん、予約が一気に入ってきて、最初はあわてましたが今は慣れてきました。週末はほぼ満室になり、うれしい悲鳴です。

何もなく、不安な気持ちだった15年前のことを思い返すと本当に信じられない数々のお陰をいただき、今があります。
あの時は精神的にも物質的にもまだ整っていませんでした。ゲストハウスを開業することを通して人間が生まれてくる意味、誠意をもって生きていく価値など「本当に大事なことは何なのか」を教えていただきました。
 
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